三宅老人は70歳を過ぎてからこの建物を作り始めている。しかも着工後20年を経過してなお建設途中であった。彼は既に90歳になっていた。この建物を建築し、発明研究を行なう場所を手に入れるのが目的であれば他に方法があったはずだ。であるなら、この建物を作ることと発明研究を行なうことが、どこかで一体になっていたと考える方が無理がない。三宅老人と研究所の建物、そしてその内部に設置された数多くの機械が有機的に機能し、自己増殖を繰り返してきた過程、それがこの建物ではないだろうか。「自己増殖機械」そんなイメージが頭を離れなかった。