1987年9月1日の午後、この建物が明日壊されるという連絡が入った。最初に訪れた時、探し疲れて道を尋ねるために立ち寄った酒屋、「亀屋」の奥さんからだった。壊される前にもう一度見ておきたい。カメラだけを手に車に乗り込んだ。そして9月2日の午前4時にはこの建物の足元、満天の星空の下で夜が明けるのを待っていた。 午前6時を少し廻った頃、建物の中からざわめきがする。あわてて車を飛び出し、中に入ると数人のグループが何組か、懐中電灯を手に中を見て廻っていた。附近の住人だった。 近所に住んでいてもほとんどの人が内部までは見たことがないのだという。そういえば周囲ではこの建物の評判は良いものではなかった。多くの場合、理解を超えるものとしてこの建物の存在は無視されるか、非難の対象だった。 しかし今日は違っていた。早朝から何人もの人がカメラを片手に訪れてきた。好感はもっていなくても心のどこかに何か感じていたのだろう。何かは分らないが、記憶にとどめておきたいものが在ったに違いない。 午前8時には解体を委託された業者がやって来た。どこから手をつけるか検討しながらパワーショベルが到着するのを待っている。やがてパワーショベルが運ばれてくると道路側の璧の一部を壊し、内部へと侵入していった。 午前10時30分、パワーショベルの腕がいっぱいに伸ばされると、最高部のエレベーター塔屋の先端をつかんだ。 音をたててこれが引きづり落とされると建物全体から垂直への力が失われた。これですべてが終わった。後はすでに残骸だった。午後3時には風景がまつたく変わってしま っていた。発明研究所の窓からのみ可能だった視点が道路にあった。1人の男の夢が消えていった。